January 21, 2005

『東京ファイティングキッズ』覚書。

内田樹、平川克美。


胎児は体内では母親からへその緒を通じて酸素を供給されているが、産道をくぐり抜けてからは肺呼吸に切り替える。この二つの異なる呼吸システムの切り替えのインターバルにおいて(何分間か何十秒間か)胎児はどちらのシステムにも依存しない「酸欠状態」を生き延びなければならない。
ある知的なフレームワークから別の知的フレームワークへの過渡も、構造的には胎児の呼吸システムの切り替えと似ている。過渡期には、どちらのシステムにも依存することのできない致命的な「酸欠」状態が必ず介在する。
あまり問題にする人はいないけれど、この「どちらのシステムにも依存できない酸欠状態」をどおう生き延びるかというのは、人間の知的成熟にとってかなり重要な問題だと思う。
私はこの「酸欠状態を息を詰めて走り抜ける力」を「知的肺活量」と呼んでいる。(P13)


ぼくたちもまた「飢餓感」を発条(バネ)として生きていました。けれどもこの「飢餓感」は物理的、肉体的な「飢餓感」ではなく、物理的飢餓感からの解放によって失われてゆくであろう精神の緊張や高揚に対する「飢餓感」といったねじれた飢餓とでもいうべきものであったように思います。
つまちぼくたちは肉体的な飢餓感が失われていくという時代にあって、自分自身を消費することで精神的飢餓感を絶えず「再生産」する必要があったのかもしれません。(P20)


K-1のようなリアルファイト系の体術の場合、相手の打撃をもろに食らうという局面があります。そういう危機的状況においては、身体感受性を最大化して、危機に応じることが必要なわけですが、それだと同時に痛覚も最大化してしまう。全身の感覚が細胞レベルまで活性化しているときというのは、痛みも最大化するというのがことの道理ですから。
そのアポリア(難問)をどう解決するのですか?ということを武蔵さんに会ったとき、まっさきに質問したのです。
武蔵さんは即答してくれました。
それは「打たれたときは、それを忘れて、二つ先のパンチが相手にヒットしているときの感じ」を想定して、それを現在だと思う、というものでした。
つまり、相手に打たれた体感を「過ぎ去ってしまった」時間帯に繰り込んでしまうわけです。
だから、どこのどの部位にどういう種類の打撃が加えられて、どの程度のダメージを受けたか、というデータはすべてはっきりと分かっている。けれども、それはもう「過去の出来事」なので、切実なリアリティはない。リアルなのは「まだ到来していない、ノックアウトパンチが相手の顔面にヒットしている未来」の体感の方なのです。
そして、そのクリアカットな輪郭をもつ「未来の体感」にむけて、「鋳型」に流れ込む溶けた鉄のように、すべての身体部位は精密に無駄なく滑らかに統御されてゆくわけです。(P63)



この記事へのトラックバックURL

http://trackback.blogsys.jp/livedoor/kiku999/12758886