July 02, 2004

『存在の耐えがたきサルサ』浅田彰編。

村上「(前略)一つ、僕が具体的に嫌だったのは、『パラサイト・イヴ』という小説があって....
浅田「あれは最低だね。
村上「アニミズムだからね
浅田「何でミトコンドリアごときに人格があるの。あれは人格がないからすごいんだよ。
村上「全くそうなんですよ。そういう学問の場所にいながら、アニミズムになっちゃう。要するに人間には約60兆の細胞があって、赤血球とか特別なものを除けばその細胞の中にはすべて核酸とミトコンドリアがあるわけです。どのミトコンドリアが反乱するのか。そういうことを彼は全く無視して書くわけじゃないですか。DNAを臓器的に捉えるというレヴェルは単に無知ということで済むかも知れない。だが、細胞器官や遺伝子に意志や言葉を与えることは、危険で許せない退行です。それを、けっこう名のある選考委員が、バンザイで迎える。お前らはバカで済まされるもんじゃない。無邪気なバカではなく、危険なバカが増えつつあるんです。その精神の退化がオウムが起こった年とパラレルになっていると思うんです。決して無縁じゃないと思う。
浅田「アルチュセールがおもしろいことをいっている。科学者は最悪の哲学を選びがちである、と(笑)。細かい実験をやってて、そこではすごくハードな事実に触れているのに、それを大きなヴィジョンとして語り出すと、突然すごく恥ずかしい観念論になっちゃうことがあるわけ。それこそアニミズムとかね。
(中略)

村上「日本人はやっぱり体力がないと思うのは、多田富雄さんでも、中村桂子さんでも、突然人間性とかいい出すんですよ。ああいうのが僕はすごく不満で、分子のレヴェルから生物や文学のレヴェルまで、もっと厳密にきちんと語れる文脈があると思うんです。もちろんそれは非常に難しいけれども、それを飛び越えて一挙に免疫の問題が自己と非自己の問題になったりして、ほんとうはもっとすごくフィジカルな問題じゃないですか。
浅田「多田富雄の『免疫の意味論』は非常に優れていると思うけれども、最終的には、意味論じゃなくて、無意味論であるべきなんだよ。
村上「絶対そうです。無意味論であるべきです。

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 今、村上龍の「存在の耐えがたきサルサ」を読んでいます。この本を読んで改めて考えさせられたのは、「コミュニケーションとは、違う価値観の人といかに意思疎通を行うかということだ。」ということです。 (前、海外とのやり取りが必要な会社にいて、香港やシンガポール.
「コミュニケーション」と「価値観」【最近考えたこと(「企画ネタ」のフリーソフト)】at July 23, 2005 01:45
この記事へのコメント
http://posren.livedoor.com/detail.cgi?id=11648
未来検索レビューから来ました(ポスレンにコメントが
載ってました)。
ミトコンドリアってホント不思議っすよね。(^-^)
Posted by 通りすがり at July 03, 2004 17:56