May 24, 2004

『あなたがいなくなった後の東京物語』、浦和レッズ。

b38882e9.jpgハードカバーの新刊を買わなくなって久しい。読みたいと思うのがないわけではない。ポール・オースターや金井美恵子の新刊は気になる。ジェイムズ・エルロイの新しい翻訳が出たら速攻で買うだろう。でも今は多分、過去に読んだことのある本のうち、読み返したいと思っている本を読む方が楽しいし、当たりハズレがない(当たり前か)。小説にしろ評論にしろ新しいモノを読まないというのはマズイ気もするが、かつて読んだ作品の中に新しい感銘を受けることもある。
村上龍の『あなたがいなくなった後の東京物語』(1996年)をぱらぱらとめくる。映画『KYOKO』制作前後の話で、限りなくエッセイに近いフィクション。ここでの「あなた」というのは小説的エッセイという体裁を取るうえでの架空の見えない誰かに対する語りかけだ。或いは実在の人物かもしれない。その語り口はかなり親密な印象で、 JMM初期に村上自身が投稿していた記事の中に出てきた風俗嬢リエじゃないかとも勘ぐる。

さて、『あなたがいなくなった後の東京物語』。フレデリック・フォーサイスについて書かれた一節の中に、「クラシックの技法を解析し、その組み合わせとスピードを変えて、クラシックから自由になりえている。簡単に言うけどそれは大変なことだ。」とフォーサイスのダンスについて述べている箇所がある。
最初に読んだときには立ち止まらなかったフレーズ。フォーサイスについてだからじっくり読んだはずなのに、全然記憶にない。
組み合わせと速度、そこに可能性があるということ。
多様なパターンと変化に富むスピード。

攻撃パターンという側面において浦和レッズには進化の余地が無限にあると思わずにはいられない。たったひとつのパターンを完遂させるにしても彼らのスピードの変化によるパターンの多様化は止め処がないから。酒井が、或いは鈴木啓太がひとつひとつ相手の攻撃の芽をつんで山瀬につなぐ、山瀬がムリなら平川に或いは長谷部に散らして攻撃を加速させる。個人の技量のことを思うのが酷になるほどめまぐるしくパターンをコラージュし、さらにスピードにのせる。そして終いに、ひとつのコースを見いだし、あとはちょんと正確にボールを転がすだけでゴールだ。そのとき彼らはシステムから自由になっている。
そして僕らはつくづくサッカーが有機的なスポーツであることを彼らによって思い知らされるのだ。

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