近々、よしもとよしとも原作の『青い車』が映画公開されるらしいですね。阪神大震災、オウムの一連の事件後に描いたらしいよしもとの同名漫画を原作にして。
それを知って、発刊された当時に読んで以来久しぶりに読み返してみました。
いたいたしい。
繊細さ。
スピード。
いや、そんなことは彼の漫画が表現する真骨頂の部分なのでよくわかっているし、最近ではナイーヴさを描くことにおいてはすっかり魚喃キリコ にお株を奪われた感もあるので、どうでもいいのです。
寧ろ笑いをとろうとして逆に自虐的になるよしもとの精神構造に惹かれるものを感じました。だからこそ作品には痛みがともなわれ、繊細さを伝えることにもなるのでしょうけれど。1991年の『よしもとよしとも珠玉短編集』での割合ストレートに表現されるナイーヴさは本当に素直な印象で、大抵の人が経験するはずの10代後半の鬱屈した感覚が伝えるその裏側のすがすがしさが、もう目も当てられないほど突き抜けた印象で、一時期僕もこの短編集は好きで好きでたまらなかったのですけど、改めて『青い車』を読んで、最高傑作はこっちかなあ、と。
自虐的であるがためにコマ割りのスピードは加速されざるを得ず、だからこそ読者は読み込む時間を要するようになり、あるイミ難解にさえなってきます。自虐的であること、とは場合によっては、幼児的であるという烙印を押される危険を孕んでいます。それでもあえてよしもとは自虐的であろうとしています。
それは何故か?
それが時代の病だから、では片づけられない何かがあるはずなのですが。