October 26, 2004

新潟中越地震、4日後。

避難民が10万人を越え、いわゆるライフラインの復旧のメドがまだたっていないというニュースをて、97年の阪神淡路大震災から人々は何を学んできたのだろうかと思う。
死者は今日22時現在で31人(阪神では6,300人)。阪神の時と比べれば、マグニチュードからして7を越えてはいない(阪神では7.3。しかも震度7が観測されたのは10カ所を越える)し、火災による被害も倒壊家屋もほとんどなかったといえる。確認されているテント生活も20家族そこそこだという。
地震が起きたのは、阪神では夜が明けるにはまだ1時間以上ある午前6時前、新潟中越では午後6時前。季節は厳寒の1月17日だった阪神と、晩秋を迎える新潟中越。
どうしてこんな早くからストレスによる死者が出たり、ここまでライフラインが寸断されたままなのだろうか。

西宮・芦屋・神戸と人家が密集する都会と、農業中心の村落地帯との差が出たのだろうか。どんなに甚大な被害を被っても生きてさえいればコミュニケーションに不足することはない場所と、そうはいかない場所との違い。さらに言えばそれだけコミュニケーションの可能性が氾濫している日常を生きる者が避難所生活を強いられた場合のストレスと、そうではない日常を生きる者がそうなることとの違い。また、地理的に物理的支援を施しやすい場所と、そうではない場所。交通を含めてライフラインの復旧のメドを立てやすい場所と、そうではない場所(それでも当時私が住んでいた西宮では電気こそその日の午後に復旧しましたが、水道は10日ほど、ガスは2週間以上戻らなかった記憶があります)。

天災においては概ね同情してもなんの意味もありません。情を請うばかりではなんの知恵もつきません。言葉の前に、行政、あるいは地域コミュニケーションの行動力が問われるべき時なのにこの国は阪神の経験を持ちながらなんら生かすことができていないなと痛感します。
天変地異を避けることはできないのだから、「起きた後のこと」に迅速に対処できるキャパシティをもういい加減持ってくれないと。

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