ウォルター・サレス、ガエル・ガルシア・ベルナル。
南米独特の存在感。これは反則ですよね。原色が本当にきれい。制作総指揮のR.レッドフォードは主演した『出逢い』『ブルベイカー』や監督した『ミラグロ』のときもそうでしたけど、カメラに対して色彩表現上での注文がはっきりしていますね。自然の色が呼吸しているというのか、もう、それ以上どないせえっちゅうねんといいたくもなる色彩感覚。多分、この作品でもその辺できっちり注文したのじゃないかな。サレス監督の『セントラル・ステーション』を観ていないのでどんな感覚を持った人なのか知らないのですが、サレスが若きゲバラの南米大陸縦断の旅を映画化するという企画を知って狂喜して飛びついたんだろうなと想像してしまいます。
だって南米ですからね。自然と共存する生活に根付いた色彩。こういう色彩がフツーに目の前にあるアフリカ、中央アジア、南米で映画を撮るのって、反則ですよね。
ロードムービーであり、ビルドゥングス・ロマン。
『アモーレス・ペロス』『天国の口、終わりの楽園』でのガエル・ガルシア・ベルナルは、そのラテン的な容貌が主人公のはぜるような熱情を加速させて印象的でしたが、この『モーターサイクルダイアリーズ』ではその容貌に潜む熱情は終始内に秘められている様子で、ラテンアメリカの歴史と現実を目の当たりにして自分の内にきざしたある”闘争”は当然、この放浪の後で医大を卒業した後に革命家としてその熱情を爆発させることになるのでしょう。
チュキカマタの鉱山で共産主義者であるために警察に追われる生活を余儀なくされたチリの若い夫婦との出会いのことを日記にはこう記しています。
「マテをいれて、パンとチーズを一かけら食べようと灯したロウソクに照らし出されて、労働者の夫のゆがんだ顔立ちは、不思議な悲痛な雰囲気を漂わせていた。」
「砂漠の夜で凍えきって、お互い折り重なるようにして丸くなっているこの夫婦は、世界中のプロレタリア階級の雄弁な代弁者だった。彼らは体を覆うための薄い毛布一枚すら持っていなかった。」(角川文庫『モーターサイクル・ダイアリーズ』)
キューバでのゲバラのことを知っている僕らは、この映画のラストにまだ生きていてハバナで余生を送っているという放浪の相棒、アルベルト・グラナードの望郷の眼差しで佇む表情を見せられると、胸にこみあげるものがありますね。どこか20代の男の子のバカ騒ぎの延長で、それらしくアイデンティティ探求の旅と銘打ってブエノスアイレスを飛び出したつもりが、ラテンアメリカの貧困と弾圧を感じとり、過酷な自然の中で生きる人々と接しているうちに実際に何かわからないけど何かが自分の内で変わっていき.....そして革命家となるわけですから。
50代以上の観客が目立って多く、ゲバラが暗殺された頃に青春時代を過ごした人たちには万感迫るものがあるだろうな。
それにしてもマチュピチュの遺跡がすばらしかったな。